最近、思うこと。
せっかく私らしい要素を詰めたブログなのに、まだまだ、ゆるいことばかり書いています。
その理由は、完了していないことは記事にしづらいという気持ちがあるから。
まだ考え続けていること
試行錯誤していること
解決していないこと
どんなふうに記事にしたらいいかわからない。
だから、つい軽い話・当たり障りのない話をしてしまう。
未完了が話しづらい理由
人に話してしまうと、その後の報告・もし方向転換するなら理由など…説明責任が生まれる感じが、どうも昔から苦手です。
もちろん、そんなこと求めていないよ!という人もいるだろうけど
説明を求める人、悪気なく詳細に質問する人は、たくさんいました。
私は、あまり根掘り葉掘り聞かれるのが内心、全く得意ではないです。
私からも人に質問をすることはあるので、過去や若い頃を振り返ると、当時は興味関心を持ってグイグイ聞きすぎちゃったな…と反省することがあります。
今は、もうほとんど何も聞かないです。ただ、一緒にいるのがうれしいな、と思うだけ。会えて嬉しいと伝えるだけに留めています。
「個人的な話」の定義は難しい
生活していると、たいして興味がなさそうな人、とても浅い関係性の人からも、ときに個人的な質問を受けることがあります。
どこからどこまでを「個人的なこと」とするのか、それは人によって違うので難しいですが。
私にとっては個人的なことなので、できれば聞かれたくないなと思う質問や介入があります。
ただ、それって相手もすごくしたくてしている質問というより、コミュニケーションや社会通念上の一般的なマナーとして軽い気持ちでしている部分が大きいだろうなと思う。
私の場合、聞かれたことが苦手な話題でも暗証番号でなければ答えますが、これは誰のためのコミュニケーションで、いったい誰が幸せになっているんだろう?と、ふいに思うことがあります。
人によって触れられたくない部分が違う
「個人的」とはどこを指すかが人によって違うこと・人によって話したくない話題が違うということに気付いたきっかけがありました。
「趣味」「好きなこと」について質問した時、ピリッとした人がいました。
本人に確認したわけではないので真相はわかりませんが、その時に私にとって無害な話題が、相手にとっては嫌な話題・苦手な話題だったのかもなと感じました。
私にも、苦手な話題があります。
でも話題そのものに問題があるわけではなく、質問に返事をした後に返ってくる決めつけや思い込みの言葉が、私は苦手なんだと思う。
基本、秘密裏に黙々生きる。
生活の中で、ちょっと話してしまうと深掘り質問が飛んでくることもあるので、その積み重ねで、だんだんと基本は黙って1人で好きなように人生を試し続ける人間になりました。
人生において、できるかぎり自分の本心からの行動がしたいという考えがあります。
人への説明や、人に許可を取る負担が元となって、自分にさえ本心を隠すようには、なりたくないです。
「もう言っちゃったから」
「始めちゃったから」
「他の人にも関係あるから」
だから、今と違うことはできない。
そんな状況自体を最初から避けたいところが、過去の経験や性格から、かなりあるなと感じています。
望んでなくとも変化が多い人生だったので、私にとっては変化は当たり前で自然なこと。
安定しないことに慣れているし、発展途中、開拓、開拓が通常運転です。
変化のたびに説明を求められると疲れてしまいます。だから1人でいがちです。
グループや大人数で活動することも必要だし好きだけど、時々にしています。
最後に
当たり前と言えば当たり前ですが、
こうした面がプラスに働くこともあるし
自分にとってマイナスかもと思うこともある。
「良い影響だけ」「悪い影響だけ」とキッパリ分かれているわけではないので、少しずつ調整して、良い方の割合が多くなったらいいな…と考えることがあります。
うまいこと話そうとしていないので、読みづらい文章だったと思いますが
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。とてもうれしいです。
